森林文化学習会 1月

R07年度学習会 ~八ヶ岳山麓で最盛期を迎えた縄文文化を知ろう~  [森林観察学習部会]

2025.1.8 1.22

後半10月からは、縄文文化に続いて、弥生文化について学習します。

<今年度の使用テキスト>
「弥生時代ガイドブック」安藤広道著 新泉社 発行

1月の学習
〇1月8日 ゆいわーく茅野 101会議室
15.弥生文化をとりまく世界………………野崎
16.石製利器から鉄製利器へ………………野崎
17.祭祀の変質………………………………野崎
〇1月22日 ゆいわーく茅野 101会議室
18.墳丘墓の展開……………………………矢崎
19.記録された弥生文化……………………矢崎
20.前方後円墳の成立………………………矢崎
21.超大型集落の終焉と弥生社会の特質…井村j

今年度の学習会は1月で終了しました。

弥生時代ガイドブック                一般 Nさんの資料より抜粋

17.祭祀の変質
〇中期には銅鐸や各種武器型青銅器を用いた祭祀が発達していた。
このうち、後期に継続したものは
①東海西部一帯の銅鐸、
②九州北部一帯の銅矛・銅戈
銅剣祭祀を発達させていた山陰や瀬戸内は突然打ち切りとなる。
〇銅鐸の変遷
中期 複数の政策集団によってつくられたさまざまな大きさ、形、装飾 「聞く銅鐸」
後期 大型で画一的な2つの系統のみに集約 「見る銅鐸」 → 三遠式と近畿式
さらに急速に巨大化 銅鐸、銅矛、銅戈すべてが広型になる
〇大型化にともない、制作に必要な青銅の量は増加するが、後期はほぼ特定の華北産鉛を含む青銅素材を用いている (なぜ華北産が多くなるのか調べたが、理由ははっきりしなかった)
*九州北部、近畿、東海西部一体の地域社会のまとまりで生産された青銅器を仲間の地域社会に配り、連帯を維持し、地域社会間の関係が深まるとともに社会が複雑化していく。
<参考>
https://doutaku.yayoiken.jp/d-kiso.html (大岩山と近江の銅鐸)

銅鐸は、鋳型(いがた)に溶けた銅を流し込んで形作る釣り鐘型の青銅器です。
「銅」と書きましたが、実際には少量の錫(すず)と鉛(なまり)が入っている合金です。
「釣り鐘」型と書きましたが、外から叩いたり突いたりして鳴らす「鐘」とは違って、内部に吊るした棒を揺り動かして鳴らす「鐸(たく)」です。
願い事やマツリに用いられた祭器で、弥生時代だけに存在した特殊なものです。当時の祭器としては剣や矛(ほこ)、戈(か)などの武器型の青銅製品があり、地域によって使い分けていたようです。
弥生時代、銅や錫などの金属はとても貴重な資源でした。
「聞く銅鐸」と「見る銅鐸」

「聞く銅鐸」とは、音をならしてマツリを行うための銅鐸で、古い形式で比較的小型となっています。銅鐸を木の枝からぶら下げ、本体を揺らせて使ったようです。

聞く銅鐸

「見る銅鐸」は、新しい形式の、大きな銅鐸です。ぶら下げて使うには大きく重く、見て崇めたのだろうと言われています。

見る銅鐸

新段階の見る銅鐸には、近畿地方でよくみられる「近畿式銅鐸」と東海地方で多く見られる「三遠式銅鐸」の2種類があります。「三遠」とは旧国名で三河の国と遠州の国で発見されることが多いのでここから命名されました。
素人目にはほとんど同じですが、専門家が細かく見ると、紋様や形に違いがあるようです。見て直ぐに分かるのは、吊手(鈕)の部分にある「双頭渦紋飾耳」の有無です。

画像出典:NPO法人 守山弥生遺跡研究会 https://doutaku.yayoiken.jp/d-kiso.html

 

(更新日 : 2026年01月30日)