~諏訪鉄山 鉄鉱石採掘搬出活動の痕跡を巡る~
[森林観察学習部会]
2022.9.25
9月25日(日)秋晴れの中、森林文化見学会として諏訪鉄山の鉄鉱石採掘及び運搬事業、活動の史跡の痕跡を巡る、半日バスツアーを実施しました。参加者は講師を含め18名(会員以外の一般参加者は7名)。
諏訪鉄山は蓼科中高原一帯に昭和12年頃から太平洋戦争を挟み昭和37年頃まで褐鉄鉱を露天掘りで産出し、日本鋼管により石畳の道路、索道と専用鉄道が作られました。
それらの遺構を「諏訪鉄山の歴史保存をすすめる会」宮坂敏郎氏を講師にバスと散策で見学しました。
石遊場付近(旧ブライトンホテル下)
諏訪鉄山 採掘、搬出の中心地で花蒔への鉄鉱石運搬の索道2本の起点があり、明治温泉付近の鉱区からの索道の終点地になっていて、鉄鉱石を索道の搬器へ積み込むロート状の構築物(万石)が当時は7個あり、向かいの山側一帯にも、焼結工場(鉄鉱石を焼いて鉄分を焼結させ運搬効率を上げるために26基の焼結炉があった)、他に事務所や集会場など多数の建物があった。
金堀場付近
〇金堀万石跡では一部現存の石積はトラックを着けるために湾曲していた。
〇火薬庫一棟現存。信管、弾薬それぞれ1棟ごと爆発に備えて土塁を築いた中にある。
〇長尾根採掘跡は両側に露天掘りの跡。
〇捕虜収容所(242名収容)は敵からの鉱山への攻撃を防ぐ目的もあった。
花蒔(お茶清水)付近
〇索道(スキーリフトにバケットを吊るして運搬)の終点で、起点の石遊場から花蒔駅(1、2号線)
ここから、鉄鉱石を貨車に積み込み鉄道で茅野駅まで鉄鉱石を運搬していた。
〇花蒔駅跡(現在は高いコンクリート壁のみ)より専用鉄道が敷かれ茅野駅までC-12-66機関車が貨車を連結して走っていた。(昭和19年9月竣工、昭和20年終戦とともに運行終了となった。)
線路撤去後はビーナスラインの一部となる。
これらの遺構はガイドをして頂かないと気が付かない物が多くなっています。想像を巡らせながらの見学で楽しい時間でした。
当日に折しも諏訪鉄山が閉山して今年が60年目の節目になることを知り、また今回の参加者の中に機関車、トロッコ、米軍機からお菓子のパラシュート降下を見た方がおられたことは驚きでした。
大切に守って行くべき歴史の遺構だと実感しました。
(更新日 : 2022年10月02日)